日々の生活に「幸せ」を感じられているでしょうか。
そうでない人は、この社会のせいかもしれません。
今回は「幸せ」を感じることが難しくなっていることについて、考えてみます。
幸せのデフレ化
●安価になったモノ・サービス
安価に手に入る / 簡単に手に入るものには、悲しいことに、幸せを感じにくいです。
今の庶民の生活水準は、一昔前の王様のよう、とよく言われることがあります。
なかなか手の届かなかった「幸せ」が、簡単に手に入るようになったものが、ここ数十年ですらたくさんあります。
20世紀後半に普及し始めたコンピュータは、今や庶民もPCとして普通に持っている上に、およそのことはタブレットやスマートフォンでもできるようになっています。
海外旅行もみんながいける時代です(最近は円安により割高感がありますが)。
コンビニエンスストア、ファストフードなども高度経済成長期以降、爆発的に増加し、たくさんのものが安価に簡単にアクセスできるになりました。
●新たに生まれたサービス
ここ最近の技術革新は、とてつもなく高度で高速です。
とくにインターネットをはじめとするICT技術は、私たちの生活を一変させました。ICT技術を中核として、私たちの生活に直結する便利なサービスが、たくさん生まれました。
・SNS(Instagram、LINE等)
・オンライン動画配信サービス
・VODサービス(Netflix、Amazon Prime等)
・オンラインショッピング(EC)
・ネットバンキング、電子マネー
・フードデリバリー
・電子書籍/コミック、オンラインゲーム
・リモートワーク(←Web会議、クラウドストレージ等)
・その他
端末とインターネット環境さえあれば、無料で利用できるものさえ多く、非常に安価に利用可能なサービスです。
少なくとも、一握りの富裕層しか利用できないものではありません。庶民が簡単に利用することができるものばかりです。
1つ1つがとてつもなく便利ですが、悲しいことに、簡単に手に入るものに幸せやありがたみを感じることを忘れてしまっている気がします。
幸せのインフラ化
●新たなライフライン
インターネット環境は、今や電気 / ガス / 水道に次ぐ新たなライフラインです。
前節のサービスたちをもう1度見てみましょう。
・SNS(Instagram、LINE等)
・オンライン動画配信サービス
・VODサービス(Netflix、Amazon Prime等)
・オンラインショッピング(EC)
・ネットバンキング、電子マネー
・フードデリバリー
・電子書籍/コミック、オンラインゲーム
・リモートワーク(←Web会議、クラウドストレージ等)
ありとあらゆるサービスが、私たちの生活に深く入り込んでいます。
デジタルネイティブの世代にとっては、多くがあって当たり前のサービスではないでしょうか。
1つ1つがとてつもなく便利で、私たちに幸せをもたらしてくれている、まさに社会基盤(インフラストラクチャー)です。
●いまでも日本は経済大国
そもそも日本は基本的な社会インフラサービスが整っており、近年GDPランキングを落としているとはいえど経済大国であることに変わりはありません。
電気 / ガス / 水道 / インターネットに加えて、物流、金融、教育、法制度なども整っています。
世界的にも治安が良く、失業率も比較的低い、、、
私たちは非常に恵まれた環境にいる、といえるかと思います。
人間のある程度「低位」の欲求は、求めるまでもなく当たり前な社会インフラとして満たされることになります。
ここでいう「低位」は、マズローの欲求階層説をイメージしています。
参考:マズローの欲求5段階説とは?自己実現理論を階層ごとに分けて簡単に説明 | やさびと心理学 (yasabito.com)
インフラ化した幸せは、その環境で生まれ育った人にとっては、あって当たり前なので、残念ながら意識すらされません。
幸せのグローバル化
●「幸せの国」のその後
「幸せの国」といえば「ブータン」と思い浮かべる人はそれなりにいるのではないでしょうか。
2012年以降に国際連合が毎年発表している「世界幸福度ランキング」という調査で、かつて8位にランクインしたことがあり、その暮らしぶりや国民性、思想に注目が集まったことがありました。
しかし、実はその後100位近くに急落しました。
いったい何があったのでしょうか。
いくつか考察されている記事では、情報化の波が押し寄せ、他国の様子を知り得るようになってから、「他者比較」をしてしまうことで幸福度が下がった、といわれています。
参考:ブータン「世界一幸せな国」の幸福度ランキング急落 背景に何が? | マネーポストWEB (moneypost.jp)
●広域化(グローバル化)
情報化社会では、自分の人間関係の周囲だけでなく、ありとあらゆる人の生活ぶりが手元の端末ですぐに見れてしまいます。
地方も都会も、日本も世界も、自分と同等の生活水準もはるかに高年収の生活水準も、生活ぶりが見える範囲が非常に広くなってしまいました。
タチが悪いことに、勝手にネットニュースやSNSで毎日のように流れてきます。
残念ながら、私たちは無意識に自分の生活と他者のものを比較してしまいます。
自分なりの幸せを、会ったことも今後会うこともない人と比べてしまうのって、とてももったいなく思います。
まとめ
時代の変化が加速し社会が高度になっていくにつれて、一昔前の幸せは誰もが簡単に手に入れられるほど安価に変わり、どんどん「あって当たり前」なものに変わってしまいます。
情報化技術により、世界が広がりましたが、同時に比較する対象もぐんと広がってしまいました。
周りの小さな幸せや、当たり前になってしまった幸せのことを、たまには見つめて、「自分なりの幸せ」は何なのか、考えてみることが大切なのかもしれません。
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