お金の起源が石や貝で、それが貴金属のコインとなり、やがて紙幣が使われるようになった。この流れはなんとなく理解している方は多いと思いますが、その理由や背景にこそお金の仕組みが隠れています。
前回は、通貨における供給量不足問題を図らずも回避した方法をみてきました。
今回は、金融危機と現代通貨に至るまでの軌跡をみていきたいと思います。
金本位制とグローバル化
18世紀以降、ヨーロッパから銀行の仕組みが世界に広がり、金や銀など貴金属との交換を保証する銀行券を各国で発行するようになりました。
【銀行券(兌換紙幣)】
○:みんなが認める価値がある
◎:みんなが容易に利用できる
○:十分に供給できる量がある
このように、金などと固定レートで交換可能な紙幣を「兌換(だかん)紙幣」といい、金との兌換を保証する制度を金本位制といいます。
産業革命で大量の金保有国かつ貿易大国であったイギリスは、19世紀初頭に金本位制を導入すると、各国はこれに追随して金本位制をとり、ポンドは事実上の基軸通貨となりました。
紙幣価値の間接的な保証
第一次世界大戦を経てイギリスは経済が疲弊し、代わって世界一の産油国となったアメリカが大量の金を保有するようになります。当時アメリカは世界中の金の4割を独占していました。
金本位制の前提は、紙幣から金への交換は一部しか行われないため、その数倍の紙幣を発行できる、というものでしたから、保有する金が少なくなれば通貨制度そのものが危ぶまれます。
アメリカの金の独占により各国は金が枯渇し、世界経済は不健全になっていきます。そして世界大恐慌をきっかけに各国は金との兌換を停止し、世界経済は混乱期に突入します。
第二次世界大戦の終盤、混乱した世界経済を安定させるため、アメリカは各国の通貨とドルを固定相レートで兌換させる固定相場制を提案し協定が結ばれました。これがブレトンウッズ体制です。
各国の通貨は金と直接は兌換しないが(不換紙幣)、基軸通貨であるドルを通して間接的に金と兌換することで、その価値を保つ形になりました。
例えば日本銀行券(=円)という紙切れは、固定レートでドルと交換できドルは金と交換できるため、「価値をもっている」と言えました。
貴金属とのつながりを失った通貨
第二次世界大戦後、世界の金の7割を保有していたアメリカは、様々な理由から経済が急落していきます。
すると世界中のドルが金と兌換され、ドルへの危機感からさらに金への兌換に拍車がかかってしまいました。
前述したとおり金本位制は、通貨量より金の量は少ないが、実際に金が交換される比率は一部である、という前提のもと成り立っています。
大半の金が流出してしまったアメリカは、1971年にニクソン大統領が金とドルの兌換を停止しました。このときの金融混乱がニクソンショックです。
ニクソンショックにより世界の通貨は金との結びつきを失い、ただの紙切れとなりました。
しかし、世界ではそれぞれの通貨が引き続き使用されました。
人々の間にはもはや、通貨が「金と交換できるから」価値をもつのではなく、「お金として他の人が受け取るから」価値をもつ、という共同幻想がありました。
1976年のキングストン合意で、現在の変動相場制へと移行しました。
貴金属との結びつきが無くなった通貨制度は、通貨供給量が貴金属の保有量に依存せず、経済状況によって自由に通貨量を調整することができるようになりました。
金融政策の難しいかじ取りと引き換えに、供給量のかせから解放されたといえます。
【銀行券(不換紙幣)】
○:みんなが認める価値がある
◎:みんなが容易に利用できる
◎:十分に供給できる量がある
まとめ
詐欺的ともいえる兌換紙幣の仕組みは、経済のグローバル化とともに世界標準となりました。
しかし、実際に金との交換は一部であり金の量よりも多くの通貨を供給できる、という前提で成り立っている金本位制は、時代による国のパワーバランスの偏りで崩壊し世界経済は混乱しました。
戦後は覇権を握ったアメリカにぶら下がる形で、世界の通貨は一時の安定を取り戻しましたが、またも金融危機により最終的には、世界の通貨が金とのつながりを失いました。
このようななし崩し的な経緯で現在の通貨制度は生きており、ただの紙切れである紙幣は「お金として他の人が受け取るから」お金として機能する、という共同幻想により回っています。
次回は、デジタル技術との融合と新しいお金の形を見ていきます。
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